高校教員として働き始めて2ヶ月。
こんなに楽しく働けるなんて、自分でも意外だった。
私の実家は(祖父は違ったが)結構古くから教員を多く出している家系で、祖父の弟たちは全員校長経験者。実家の前は今は住宅地だが、昔は師範学校で曾祖父はそこのお偉いさんだったらしい。幼い父は、季節ごとに大叔父の家に学校の先生たちが列をなして人事裁量のお願いに来る姿をみて「先生といってもただの人間なんだな」と思い、「先生」という人たちを内心馬鹿にしていたそうだ。ヤな子どもである(-_-)
そんな父の元で育った影響か、私も学校の先生という存在を斜に構えてみていたところがあった。
それが楽しく教員の仕事に勤しめるということはやはり「瓜の蔓には茄子は成らぬ」ということか。
まあ、20代の頃は自分に対する期待や願望が強すぎて、自分の性能や適性がよく分かっていなかったのだろう。
先生たちは老いも若きも関係なく、互いの仕事に敬意を払っている。それは、基本的に授業というものが一人で行われるものだからであろう。ずっと先人から受け継がれてきた知恵や知識を伝えていく責任の重さに、年齢は関係ない。その授業の在り方も、学校現場の様々な状況変化に伴って変わっていくことが懸念されているが・・・。
話を戻そう。
さて、国語科教師として赴任した私であったが、なんとか現代文の単元を終え、古文の授業に入ることとなった。使っていた教科書の一番最初の題材は「ちごのそら寝」である。
比叡山の寺院におけるちょっとした小咄で、高校国語で学習した記憶がある方もおられるだろう。
自分自身も高校の時に授業で習った覚えがあるのだが、どういう風にこれを指導していけばいいのか。教科主任のI先生に相談したところ、丁寧なアドバイスをくださり、最後に
「古典文学は仏教との関わりがとても深く、仏教の知識なくして当時の空気は読みとれないといっても過言ではないと思う。今のうちから仏教について勉強しておいた方がいい。」
と、おっしゃったのである。
早速、授業の空き時間に図書室に行って仏教関連の本を探すのだが、その手の本が少ない。
しかたないね〜、専門高校だもんね〜(実は、別の教科の先生が大量に借りっぱなしになっていたのを後に発見)。急ぐことでもないし、ま、いいか〜。と、思っていた夕方、携帯が鳴った。
先日の中国語講座で出会った男性からである。
実は、数日前、ニシムタでストーブを買った私・・・そのとき車を持っていない為、えっちらおっちら抱えて歩いて帰ったのだが、途中で思い立って携帯番号を教えてくれていた彼に電話をかけてみたのである。彼の好意を利用してあわよくばアッシー(古い?)に使おうという、不埒な女の企みを、留守番電話はあっさりと遮断。しかし、何もいわずに切るのも失礼だから、メッセージは入れておいたのである。
「もしもし、先日は留守電にしてて本当にすみません!仕事休みの土日は電源を切っているもので、本当にごめんなさい!」
出るなりこれだ。こっちの声も聞かず勢い込んでしゃべってくる。やっぱりあのとき留守電で良かったかも・・・。自分の不埒な下心がなんだか疚しく感じられてくるような、まっすぐな声だ。純粋な人なんだな。
「いえ、別にちょっとかけてみただけなんで気にされないでください。」
どう言い訳するかな〜、と思ったとき、名案が浮かんだ。一石二鳥!
「あの、あなた確かお坊さんですよね。」
「はい、そうです。」
「実は、私、今度の授業でお寺が舞台の古典を教えることになって、でも仏教のことを全然知らないので、なにかオススメの本がありましたら貸していただきたいんですけど。」
「あっ!そうですか!いや、それなら是非、はい!」
よかった、これで言い訳が立った。・・・どこまでも不埒な私なのである。
彼の職場の社会福祉協議会というところは、私のアパートから徒歩3分位のところにあるということで、翌々日の水曜日、本を貸してもらうことになった。
今にして思えば、私に仏教を学ぶよう勧めてくれたI先生は、夫の高校の教科担任でもあったのである。
一人目の月下氷人が教え子のヒロエちゃんだとすれば、二人目はこのI先生ということになろうか。
ご縁とは、つくづく不思議なものである。
教育委員会から会場に・・・との依頼があったとき、点検の延長みたいなモンだと気楽に構えていたら、ご門徒は70名以上、消防・役所関係が15名ほど参加くださってびっくり。ずーっと頭を下げて挨拶に回った防火訓練でした(^^;)
さて、いよいよ中国語講座当日。開催は夜7時半からと聞いていたが、会場の小学校がどこか分からない。当時私はペーパードライバーで、車を持っていなかったので、近くのバスターミナルでタクシーを拾い、小学校まで乗せてもらった。どんどん上がっていくメーター・・・。帰りはきっとバスもなかろうし、歩いて帰るかな、と半分覚悟を決めていた。
駐車場に、同じく中国語講座に来たとおっしゃるおばさまたちがおられ、後をついて夜の小学校に足を踏み入れた。今時の小学校はきれいに改装されて校舎内も明るいし広々している。子供がゼイタクになるわけだ、とぼんやり思う。広々したホールに、恐竜の大型模型とホワイトボードが置かれている。
講座は図書室で開催、ということで図書室に向かうが、そこは真っ暗。
「まだ鍵を取りに行ってないのね〜。」と言い合っていたところに、この会の主催者の市議会議員さん(女性)と講師の国際交流員さんが現れた。
「いま、鍵を取りに行ってくれてるから。」と議員さん。教え子ちゃんも来たので、そこにいるメンバーに一通り挨拶したところに、スーツ姿の体格の良い男性がやってきた。鍵を回して図書室の扉を開き、電気をつける。テーブルをちゃっちゃとまとめて皆が座る席を作る。
みな思い思いの席に腰掛け、私もあいている席に座った。
私が初めての参加ということで自己紹介をさせていただいた。
この町に来て、学校以外の人たちの集まりに来たのは初めてのことだった。
授業開始からちょっと経って、
「なにか、黒板みたいなものありませんかね。」
と、先生がおっしゃっる。
「あ、探してきましょうか。」
先ほどの男性が立ち上がる。
「ホールにあったから、持ってきましょうか。」
と、私も立ち上がり、図書室を出てホールのホワイトボードに向かって歩き出した。
男性が後に続く。ホワイトボードは足つきで動かし易いタイプ。
「じゃ、押してください。せーの!」
男性が先に立ち、私が後ろからホワイトボードを押して、図書室へ運んでいく。
これが夫との出会いで、思いがけず初めて二人で行った共同作業となった。
夫は後にこのときの出会いを「あのとき、すぐ反応して動いたのにいいなあ、と思った。一緒に運んだのがホワイトボードだったから、この人とはなにか知的なことを一緒に広めていくご縁があるのかな、と勝手に考えてたんだ。」
ほんと、勝手である。妄想である。思いこみが激しいヤツなのである。
それが、現実にいまお寺を一緒に運営させていただいていることを思うと・・・いやはや、人の念というか思いはすごい力を持っていると感じざるを得ない。
その日、久々に中国語の世界を楽しんだ後、足がない私を、先ほどの男性が送ってくれることになった。教え子ちゃん、議員さん、講師の先生、私、と順々に送ってもらい、二人きりになった車中で本や映画の話で盛り上がった。
「今度いっしょに映画に行きませんか?」
と誘われたが、中間テストが近く、初めての問題作りでそんな気分になれなかったので丁重にお断りし、男性は帰っていった。
しかし、運命の女神は彼の味方・・・というか、仏様のご加護が強く働いていたのだろう。
一週間後、私は自分から彼に歩み寄っていくことになった。しかも、半分仕事で。
甘い言葉とムードでふらふら〜、とその気になって、相手に嫌われまいと尽くして、でもその状態に耐えられるほど人間が出来てなくて関係が破綻・・・というパターンの繰り返し。
こんなのもう嫌だ。自分が嫌だ。ウツウツと毎日を送っていたある日、夢を見た。
何故か、実家近くの駅のホームに電車から降りている。
そのまま階段を下りて地下道を通り、階段を上って改札を抜ける。
横断歩道を渡った先に、小山があってクローバーの花が一面に咲いている。ここは中学生の時になくなったはずだけどなあ・・・と思いながら、足は実家に向かう。
駅前の昭和モダンなホテル、本を立ち読みした文房具屋、日焼けした濃い顔のおじちゃんがやってる食品店、子供たちで遊んでると奥さんがお菓子をくれたどこかの社長さんのお家、長屋から猫が出てくる。大きな鯉を飼っていた赤い屋根のお家、時々据えたニオイのするお総菜を売っていた明るい食料品店。子供の頃よく木登りした銀木犀が、天に向かって枝を広げている。
もうすぐ家だ、あの突き当たり。
玄関に手をかけたところで、目が覚めた。
ずっと実家が大嫌いで、鹿児島になんか帰るもんか、鹿児島の男なんてサイテーな奴等ばっかりだから絶対鹿児島の男となんか結婚しない。いや、そもそも結婚なんて男に寄生するような生き方をしたくない、と思っていた。
でも、今の自分はなんだ?寄生よりもっとひどいじゃないか。心を殺して生きてるじゃないか。
・・・このまま、ここで死にたくない。
私、もっとのびのび生きたい!ここにいたらダメになる!!
自分の心の底に、こんなにも深い郷愁の念があることに驚きながら、鹿児島に帰る決断をした。
鹿児島に帰ってからのことは、前回のエントリーに書いたとおりである。
自分の男を見る目のなさを痛いほどわかっていたので、自然、恋愛に対してガードが堅くなっていた。(それでも、教員時代がこれまでの人生で一番のモテ期だった気がする。・・そういうものなのか?)
暮らしの中に男っ気がないのは久しぶり・・・というか、男兄弟の中で育ったので、ある意味人生初めてであった。いやいや、快適♪ 何が良いかって自分のペースで動けるし、遊びに来た男に部屋を散らかされたり忘れ物と称して荷物を置かれる不法占拠もないし。食事中に「あれ持ってこい、これしてこい」と人を当然の如くこき使うアニキもいない。ぼちぼち仕事にも慣れ始め、自分のために自分の時間とお金を使える贅沢を満喫していた。
そんな私の暮らしを掻き乱すと同時に、より広くより面白い?世界へ引っ張ってくれた夫、いよいよ登場!
昨日のエントリーで「夫と結婚したから寺にいる」と書いたけれど、正しくは「僧侶と結婚し、夫が寺に入ることになったからついてきた」である。
えー、お坊さんて結婚して良いの?!とショックを受けたあなた、ある意味正しい反応です。
そもそも仏教の僧侶が公然と結婚できるのは日本だけ。インドに行ったとき、最初の宿がお寺の中で、夫が僧侶である旨伝えたら、ハネムーンだというのにあやうく別々の部屋にされるところだった(しかも夫が連れて行かれた部屋の方が上等だった・・・)。本当は、仏教的にはそれが正しい対応なのだけれど。
日本では明治維新以降、僧侶の蓄髪(髪を伸ばすこと。鹿児島では坊主頭のお坊さんてあまり見ませんよね)と妻帯が法律で許可されたため、本来仏教僧に禁止されている結婚を、当たり前のようにするようになったのである。それまでも密かに女性を囲う坊さんも居たようだが・・・長くなるのでまたの機会に。
さて、昨日の続き。
夫との出会い。それは「中国語とホワイトボード」である。
大学卒業後、東京で仕事をしていた私だったが、夢破れ恋破れ体も壊し、身も心もある意味ぼろぼろになって鹿児島に帰ってきた。
ぼろぼろな私を救ってくれたのが、二人の兄の子供たちである。端から見たら、単に赤ちゃんの世話手伝いと幼稚園児の遊び相手をしているだけのことだったかもしれない。けれど、当時「あたしなんかこの世に存在する意味ない・・・何の役にも立たない・・・」と慢性自信喪失症候群に陥っていた私を、子供たちは無条件に求め、甘え、頼りにしてくれてた。求められる、ということがどれほど人間を立ち直らせるかを、私は身を以て経験させられた。
いつまでもこのままではいられない、独り立ちできるように仕事をしないと・・・自分に何が出来るだろう?そんな風に前向きに物事が考えられるようになってきたとき、教員採用試験を受けてみようと思い立った。試験終了後、結果が出る前に臨時採用の打診が来て驚いた。もっと驚いたのは、その赴任先が3歳まで暮らしていた町だということだ。なにか不思議な力に導かれているかのよう。
導かれるまま、実家を出て、初めての教員生活が始まった。生徒数400人足らずの実習系高校で、1年生の国語を受け持つことになった。時は「学級崩壊」が流行語になり出した頃で、自分の高校時代しか記憶にない私には、驚きの連続連続!授業中ジュース飲むな!化粧するな!黙ってトイレ行くな!ちゃんと人の話聞け〜!黙れ〜! きっと、大学卒業してすぐ教員になっていたら、すぐやめてただろうなと思われる位、教室の様相は乱れていた。新米の私を生徒たちが舐めていた、というのもあるだろうけれど。それでも、教員生活はとてもとても楽しかった。やりがいがあった。こちらが変われば生徒も変わる。騒ぐ子にばっかり目がいってしまいがちだけれど、それはほんの一部。半分以上の子は、きちんと授業を受けたいと思っている。その子たちのために、授業を頑張ろうと具体的に動き始めたら、騒いでいた子たちも落ち着きだした。
「教員なんて変わり者ばかりなんだよ。」と嘯く同僚の先生たちはいい人ばかりで(ということにしておこう)、毎日が面白く次の教員採用試験は絶対受かるぞ!と意気込んでいた。
ある日、授業中生徒たちと修学旅行の話になり、その行く先が中国だというのを聞いて、ふと悪戯心を起こしミニ中国語講座をやってみた。抑揚がはっきりした中国語の発音にみんな大受け。授業を終えて職員室に戻ろうとしたら、女子生徒が真面目な顔で私の前に立った。
「先生、中国語できるんですね」
「留学してたから発音はそれっぽく出来るけど、もうヒアリングは全然できないよ。」
「あの、実は私、中国人の人と中国語の勉強会やってるんです。先生、来ませんか。」
ずっと再開したいと思っていた中国語の勉強。しかも生徒が誘ってくれるなんて、断ったらばちがあたる。是非行きたいと答えると、
「よかったあ、参加者少ないんです。来てるのは女性が3人位と男の人が二人。一人はお坊さんなんですけど。」
お坊さん・・・坊主頭のおじいちゃんが浮かぶ。お経も漢文だしな・・・。
その「お坊さん」と自分が結婚することになるとは、このときは全く予想だにしていなかったのである。
・・・続く。
自分が「お寺の奥さん」になるなんて・・・。
大学の時、卒業した先輩がお寺に嫁いだとき「さすがA子先輩だよね〜。」と、彼女の才色兼備にして人格者、ゼミの教授を支える献身ぶりにさもありなんと一様に頷いたものだったが・・・いまや私も名目上は同じ「お寺の奥さん」なのである。いやはや畏れ多いというかなんというか。いや、しかしA子先輩はA子先輩、私は私。だいたい「お寺」といっても宗派が同じとは限らないし・・・同じだったら却って怖い気もする(汗)。
でも、きっと私はA子先輩でなくとも、友人の誰かが「お寺の奥さん」になったと聞いたら「さすが○ちゃんだ〜。」と言ってたに違いない。そして、私の一部の友人たちも私の今の身の上を聞いたらきっと「さすが麦だよねえ〜。」とか言ってるのだと思う。そんなもんだ、おそらく。
「お寺の奥さん」に対する社会的イメージは似通っていながら様々だ。そのイメージの中の適当なパーツをその人から見た私のキャラクターと適当につなぎ合わせて納得することで、現実の私を「お寺の奥さん」として見ることが出来る。
あ〜、もうこむずかしいのヤメ!こういう業深いオンナだから、首根っこ捕まえられてどうしても仏法を聞かざるを得ないような寺という場なんぞに身を置く羽目になるのである。
なんて書くと大袈裟だが、今こうして寺に暮らしているのは、夫と結婚したからである。
しかし、夫ももともとは寺の人間ではない。
地方の兼業農家家庭に育ち、紆余曲折を経て高校卒業以降さらに12年も学生生活を送って、仏道へ歩み出したというこれまた業の深いオトコ。いやいや仏縁の深い御仁。
はてさて、こんな二人がどのように出会ったのか?
続きはまた明日。
南薩摩の人口1000人ちょっとの村に暮らす「麦の花@てんぷる」と申します。
ブログタイトルの通り、Temple=お寺で生活しています。
家族は夫と3歳の息子・4歳の黒ラブ(♂) 男度高し。
以前別のサイトで子育て日記のようなものをつけていたのですが、もっといろいろなことを書きたくなってきたので、心機一転ポティカに引っ越してまいりました。
田舎暮らしや農業の現状、寺のこと、宗教・信仰のこと、子育て、環境問題などなど・・・日々感じるあれこれを、綴っていきたいと思います。
以前のブログ「そわかんぼちゃん日記」http://blog.goo.ne.jp/


のんちゃんと一緒に見ましたよ。
ホワイトボードが縁だったんですね。
私たちが知らない「麦さん」を発見しました。
案外人って、心の中は弱いですから。
私たちが麦さんたちと
仲良くさせていただいたのも「縁」ですから。
その「えにし」を大事に、これからも
よろしくお願いします。
お気に入りに入れて近いうちにリンクします。
お(^о^〃)や(^О^〃)しゅ(^。^〃)みぃ(^-^〃)♪