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<title>てんぷる・らいふ</title>
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<description>シンプルなテンプルライフを目指して・・・</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2008</copyright>
<pubDate>Thu, 04 Dec 2008 17:50:18 +0900</pubDate>
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<title>寺に居る理由　１０</title>
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ホソキカズコ先生のたまわく。「彼氏には昔のオトコの話するんじゃないよ！絶対ひくから！！」わかってます。分かってますけど、この場合話さない方がアカンでしょう。それに、彼氏じゃないし。・・・・・・まだ。気持ちは８：２くらいだった。「新しい職場にも慣れてきて仕事が面白くなってきて自分のペースで充実した暮らしを送れるようになってきて、親も安心したところなのに〜。離婚して半年ちょっとしかたってないのに、もう色恋沙汰か？どうもこの人は、結婚したいという自分の願望のほうが突っ走って、私という人間を理解せぬまま押し切ろうとしているような感じがする。もしかしたら、私がバツイチだといったら退くんじゃないか？自分勝手な&amp;ldquo;理想の女性像&amp;rdquo;を私に投影されるのはもうゴメンなんだよっ！！」「この人は本当に誠実でいい人だけど、先々お寺に入るというし、そういう半・公人的な立場の人が離婚経験のある女を妻にするというのは、体面上あんまりよろしくないのではなかろうか？まだつき合いが深くならないうちに私の身の上を話していた方が、後になって互いに傷つかなくて良いかも知れない。」前者が８、後者が２。自分がバツイチだと告げて、彼がどう反応するか。まあ、退くだろうなー、と降られる覚悟を決めて、もう破綻した短い結婚生活のことを話し始める。誰に急かされたわけでもないけれど、３０歳を目前にして「結婚」に対して焦りが出始めた。というか、正直なところ長年の周りからの「そろそろ結婚しなさい」プレッシャーの重さに遂に耐えきれなくなった、負けたというのが実情だ。しかもその頃、元気だけが取り柄だった私にとって生まれてはじめての、体調が優れない日が続いていた。自分で自分を養う、ということがこれからもずっと出来るのかと不安を感じ始めていた。そこに現れた結婚願望の強い男の子。と、いっても私より年上。恋愛至上主義なところのあった私にとって、恋愛を経過しない結婚はあり得なかった。彼を好きなのだと自分のモチベーションを高め、合わないところは見ぬ振りで、彼にプロポーズさせるようにし向けていった。互いの住まいが離れていたのも功を奏したかも知れない。けれど、自分を偽って作り上げた関係には無理があった。互いの好きなものも嫌いなものも違いすぎることに徐々に気付き始め、くっついたり離れたりを繰り返しながら、結局結婚しようと言うことになったが、その形に持っていくまでにすでに内実は破綻していた。式は挙げなかったので、彼の家に引っ越しして入籍する日が結婚予定日のようなものだったのだが、その日が近づくにつれ、険悪なムードになっていく・・・。私たちは互いに相手と向き合うことにうんざりしていたが、もうそのときには引っ込みがつかない感じになっていた。両親に、彼との結婚を迷っている旨を相談したが「結婚なんて甘いものじゃない」「忍耐が肝心」といわれ、引き下がるしかなかった。彼の前に一度、別の相手と婚約して親戚一同に紹介したものの破談になったという前科があったので、両親としても体面があるし、今度は別れないで欲しいと願っていたのだろう。ご丁寧に父から手紙まで送られてきた。世間的に見たら結婚を迎えて幸せの絶頂のはずなのに、私は全然嬉しくなかった。引っ越すにあたって、それまで自分が大事にしてきた家具や１０００冊近くあった本を処分することを求められた。彼の家が狭いからと言うのが、その理由だ。今思えば実家に送れば良かったのだけれど、先に書いたような理由もあって、その頃の私は実家に頼み事がしにくい気持ちのわだかまりがあった。家具のほとんどは友人たちに無償で譲り渡し、本は毎日仕事から帰ってくると古本屋にせっせと運んだ。近所の古本屋で引き受けてもらえなかった専門書は、電車に乗って神田の古書店街まで引き取り手を探しに行った。なにかが違う。なにかおかしい。本と引き替えに数枚の千円札を受け取りながら、自分の中から湧き上がる疑問。その頃、勤め先の友人にも指摘された。「結婚するっていうのに全然幸せそうじゃないんだもん」確かに、私は幸せではなかった。自分の大切なもの、自分の好きなものを否定されて、それを捨てて結婚を選んでいたのだから。彼のほうも、私を養わねばならないとフリーターのような気ままな生活を捨てて、嫌々就職活動に奔走していた。私も、相手も大きな勘違いをしていたのだ。（今回で終わるつもりだったのに・・・まだ続く！）</description>
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<pubDate>Tue, 02 Dec 2008 13:11:00 +0900</pubDate>
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<title>いいお産の日ｉｎかごしま　２００８</title>
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長男出産以来、お手伝いさせていただいてるイベント「いいお産の日」の宣伝です。　　　「いいお産の日ｉｎかごしま」　　　来る１１月８日（土）、県民交流センターにて開催！　　　☆助産婦さんとの相談コーナー　　　☆ハンドマッサージ　　　☆ベビースリングの展示・販売　　　☆吉村医院の写真展示　　　☆お母さんアンケートの展示　その他にも、楽しい企画を準備してお待ちしています。今年のメインはなんといっても吉村正先生の講演会！！２Ｆ中ホールにて１４時から１６時３０分まで。入場料は前売り券で一般１０００円、学生８００円。地球畑各店、コーププレイガイド、山形屋プレイガイドにて販売しています。当日券は共通で１５００円となりますので、前売りがお得です。吉村正先生とは・・・。愛知県岡崎市にある吉村医院という産婦人科の院長です。吉村医院では、薬に頼らず、本来お母さんの体に備わっている「生む力」を信じ、赤ちゃんが知っている「生まれる時」を待つという自然なお産が行われています。２万例以上のお産に立ち会い、自然の摂理に沿ったお産こそが、真の母子関係を育んでゆくと実感した先生は、現代の少子化・いじめ・虐待・犯罪など深刻な社会問題を解くカギであると、全国各地で講演会・研修を通じて広く訴えておられます。私事ですが、香川で助産婦として働いていたわが妹分は、吉村先生に惚れ込んで高度先端医療の世界から、吉村医院へ修業に入りました。吉村先生の医者としての生き様は他人の人生を変えてしまうほどに熱く、信念あるものなのでしょう。「わたしは命を懸けてお産に臨む。」お産に人生を捧げた吉村先生のお話を、是非聞きに来ていらしてください。お問い合わせ先　０９９−２３９−７０４０　（坂之上）</description>
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<pubDate>Tue, 04 Nov 2008 23:03:00 +0900</pubDate>
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<title>残暑お見舞い＆ご報告</title>
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ご無沙汰しております。５月末より病院に入院。立秋前日に退院いたしました。２ヶ月以上点滴につながれて、診察時以外は部屋から出られない状態。それでも人は環境に適応していくものなのですね。退院前日に、点滴の針を抜かれて歩く許可をいただいたとき、そんな自由が私に許されるのかと戸惑いを感じてしまったほどです(^^;)来週あけまでは安静を言い渡されていますので、そこを越えたら近所に買い物くらい行けるかな？まだまだ体が・・・特に足が萎えてしまって、今が筋肉痛のピークです。四国１２００?踏破した時の私と、今の私は同一人物のはずなのに・・・別人の体みたい。まあ生きていると自分の体を通して色々な経験が出来ますね。というわけで、「寺に居る理由」シリーズの続きは、今しばらくお待ち下さい（待ってる人がいるのか？！）今日は幾分涼しいですが、未だ残暑厳しい折、みなさまお体お労り下さいね。むぎてんｐｓ．お見舞いに来てくださった方々、励ましのメッセージを下さった皆様、ありがとうございました。　　　また改めてご挨拶に伺います。</description>
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<pubDate>Sat, 09 Aug 2008 10:53:00 +0900</pubDate>
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<title>寺に居る理由　９</title>
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青のシーマが右にウィンカーを出して、走り去っていく。なんだか、乗り手に同調して車まで弾んでいるように見える、のは私の気のせいか。いや、気のせいじゃない、多分。「困ったなあ・・・。」ひとりごちながら、アパートの部屋へ戻る。電気をつけ、ユニットバスに湯をためる。湯気を見ているうちに急にコーヒーを飲みたくなって、薬缶に火をつけた。コーヒー豆をごりごり挽きながら、考えるともなく考える。今日も、彼と夕食を共にした。別に断る理由もないし、話も合うし、と気軽に誘いに応じていた。しかし、日に日に彼の様子は「恋愛モード」へと、シフトしつつある。初めは自分の気のせいか思い込みかと思っていたが、どうやらそうではない。わかりやすい人なのだ。とてもいい人なのだ。今までこんな誠実で正直な人に会ったことがない、と思わせるくらいに。けれど、私は醒めている。彼が嫌いなわけじゃない。いい人だとは思うけれど、「好き」というところまでテンションが揚がっていかない。それに・・・。薬缶の笛がピーッと鳴いて、湯が沸いたことを知らせる。ドリッパーに濾紙をセットして粉になったコーヒーをそこに入れる。コーヒーを落とす間はひたすら集中。自分のために、丁寧にコーヒーを入れてあげよう。そういう心持ちになれたのは、このアパートで暮らし始めてからだ。私は小心者で、他人の意見や評価が気になって仕方がないところがある。東京で暮らしていた頃はそれが特に顕著だった。自分の好きなもの、好きなことより「趣味がいい」「〜をしてるなんて凄い」という賞賛の声が欲しくて、ほめられたくて、人からかわいがられたくて・・・でも、私の場合「自分だけかわいがって欲しい」から、会社で他の子がお茶を入れて褒められたりすると憎々しく思ったり、いい仕事をすると妬ましくてイジワルしたり。ある意味、病んでいたのだと思う。他の人を思っているフリをして、結局、自分の都合でしかものを考えていない。こんなに頑張っているのに、努力しているのに、どこがいけないの？そういう思いが出てくること自体、もう自分のズレに気付けていない証拠。悪循環だ。恋愛だってそうだった。尽くす女を演じて、その分暗黙のうちに自分の要求を満たしてくれることを求めていた。タチが悪いねー。でも、健気だった。相手の要求や理想に合わせようと一生懸命だった姿は哀れとも言えるけど。離れたからこそ、見えてくるものってある。ユニットバスの湯を止め、台所に立ったまま、コーヒーを一口。コーヒーかすの入った灰皿を引き寄せて、煙草に火をつける。今の自分は、若いとは言えない年（これを書いている今はそう思わないが）。教員採用も臨時のものだし、長年働いていた割に金銭の蓄えも大したことない。でも、それでもハートは満たされている。他人が見たら殺風景なのかも知れない。でも、ここは私が本当に欲しいと思ってそろえたものしかない部屋。そして自分の好きなことを仕事に生かせている充実感。都会で人間関係に苦労した分、今の職場環境は快適にさえ思える。じんわりと、日々のあちこちに「幸せ」がある。何かに「幸せ」にしてもらうんじゃない。幸せ　なんて抽象的な言葉の上のイメージに踊らされるのではなく。私が好きなこと、夢中になれるもの、そういうものを一つ一つ大事にして愛おしんでいく日々の積み重ね。その中に「幸せ」があると気付いたのだ。気付けたことも「幸せ」のひとつかも知れない。自分のために美味しいコーヒーを入れてあげて、誰にも文句を言われず煙草をゆっくり味わえる空間を持てている今。十分に幸せだ。この後はゆっくりお風呂に浸かって、明日の授業の確認をして好きなお香を焚きながらヨガをしてゆっくり眠りにつくのだ。もう、誰かの「理想の女」になるのなんて、そんなものを求められるなんてうんざり。なんだかわけもなくイライラしながら、風呂に浸かる。湯船で顔のマッサージをしたあと、熱い蒸しタオルを顔に乗せてぼんやり気持ちよさに浸る。はたと思い至った。なんだ、私、もう彼に心惹かれてるんじゃないか。それをあれこれ考えるのは、彼が私の気持ちを確認することなく、自分の思いを告げることもなく、一人で突っ走っているように見えるから。私を見ているのではなく、「恋愛」に持っていけそうなシチュエーションにただ有頂天になっているように見えるから。私は今はまだ「知りたい」段階なのだ。彼がどんなことを考えているのか、何に重きを置いているのか、どのように行動しどのように生きたいのか。そういう観念的なことをだ。私が知りたいのはそういうこと。私の位置付けは、私がする。私という絶対と彼という絶対が出会う事によって生じる相対化。二つの絶対が出会って、互いがどのように照らし出されるか。どうか、彼の鏡が私を正しく映しますように。・・・そういう欲はあるのだ。正直に、ぶつかってみよう。彼が私を受け入れられない、というのであればそこまでだ。仕方ない。このまま、あいまいな態度ゆえに彼に気を持たせている状況は、とても失礼なことだ。翌々日、彼と夕食を共にした後、いつものように車でアパートの前まで送ってもらった。アパートの前の病院の駐車場に車を止めて、十分ほど話をしてから帰るのがお決まりのパターンになりつつあったが、この日は私から話を切り出した。あなたの好意はありがたい。だからこそ、言わなきゃいけないことがある、と。「実は私、一度結婚に失敗してるの。いわゆるバツイチなのね。」</description>
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<pubDate>Sat, 12 Apr 2008 16:23:00 +0900</pubDate>
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<title>寺に居る理由　８</title>
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息子３歳。１月から近くの保育園に通っている。今日はその保育園のお別れ遠足。最終目的地は「農村公園」なのだが、中継地点はうちの寺。で、先生たちが境内のあちこちに隠した番号札を探して、見つけた子には私がカードにはんこを押す、というスタンプラリーをしたのだが・・・自分の家に遠足に来るとはどんな気持ちなんだろうなあ。年長組のお姉さんに手を引かれながら歩く息子の後ろ姿をみながら、そんなことを考えた。美味しそうに寿司をぱくつく彼に、思い切って聞いてみた。「あのー、お坊さんがお寿司食べて良いんですか？」自分も寺に入ってからよく聞かれたが、なんとなく「お坊さんは精進料理を食べるのではないか」という思い込みがその頃の私にはあった。実際、多くの人はそう思っているのではないだろうか。西遊記で夏目雅子演じる三蔵法師は肉を食べて苦悩していたし、リー・リンチェイ（今はジェット・リーか）も「少林寺」で肉を食べてこっぴどく叱られていた。映画「ファンシイダンス」でも竹中直人だったか本木雅弘だったか記憶が曖昧だが、規則を破ってこっそり焼き肉を食べていかにも嬉しそうにしていたような気がする。しかし、今目の前にいる僧侶だという男性は何のためらいもなく喜々として寿司をほおばっている。きっと彼が普通のサラリーマンだったら気にならないのだろうけれど、彼がお坊さんだと知った今は、なんだか気になってしまったのだ。いいんだろうか？お坊さんが生臭もの食べて・・・。「なんでも食べますよ。」と、彼はあっさり答えた。「本当はダメなんですけどね。」おいおい。「いまの日本の僧侶が精進潔斎するのは、行（ぎょう）の時くらいです。でも、私が四国の寺に居たとき食堂のおばちゃんが作ってくれたカレーなんて、普通のカレーから肉取っただけでしたからね。ルーに肉のエキスが溶け込んでてどこが精進なんだか。」「じゃあ、お坊さんって精進料理ばかり食べてるわけじゃないんだ。」「禅宗ではそういう人もいるかも知れないけど・・・ほとんどいないでしょうね。でも、お釈迦様は肉を食べるなとは言っていないんですよ。」「？」「よく勘違いされるんですけれど、お釈迦様が定めた戒律の中には肉食を禁じたものはないんです。不殺生戒といって動物や魚を殺してはいけないという決まりはあります。え〜と、托鉢（たくはつ）て分かりますか？」「道ばたにお坊さんが立っててお金をあげると鈴を鳴らすヤツですか？昔は家にも回ってきてたような気がしますけど。」「いまの日本ではお金を入れますけど、もともと托鉢は乞食行（こつじきぎょう）といって、鉢を持ってまわって食べ物をもらう行だったんですよ。そして、どんな食べ物をもらってもそれを食べなければいけない。中には当然肉が入っていることもある。そうしたらその肉も当然ありがたくいただかねばならない。」「なるほど・・・。」「タイとかビルマのほうの上座部仏教（じょうざぶぶっきょう）のお坊さんたちは、今でもそういう風にしているらしいです。もっとも、もらった肉でも食べてはいけない場合があって、その肉が自分のために殺されるのを見てしまった場合、その肉が自分のために殺されたものなのだと信頼に足る人から聞かされた場合、用意された肉がどうやら自分のためにわざわざ殺されたものらしいと疑いうる場合、この三つのいずれかに当てはまったら、その肉は食べてはならないとされてます。日本や中国に伝わった大乗仏教（だいじょうぶっきょう）では、何故か僧侶は肉食を禁じる、ということになってしまったけど、これはヒンズー教の影響が大きいんじゃないかな。まあ、自分は今は普通と変わらない生活をしているけれど、目標は戒律を守ることを全面に打ち出した寺・・というか、そういう場を作りたいんですよ。」うーむ、教科書でしか知らなかった言葉の数々が、彼の口に乗ると生きた仏教の世界として、目の前に紡ぎ出されるような感覚。このひと、本当にお坊さんなんだなあ。「ただ、日本の僧侶は明治以降一般人と同じように結婚するのが当たり前になったけれど、これだけは仏教界で日本だけの特殊な在り方ですね。私が四国の寺に居た頃、お遍路さんに&amp;ldquo;今の管長さんは御大師様（おだいしさま）のご子孫なんですか&amp;rdquo;と聞かれましたけど、とんでもない。いまの日本は浄土真宗（じょうどしんしゅう）の家がほとんどだから、お寺も世襲と思っている人が多いけど、元々はそうじゃなかったんですよ。」このへんはよくワカラナイ・・・（今なら分かるが）。もともと神道の家に育った私には未知の世界。でもまあ、こういう話は好きな方なので興味深く伺い、質問しているううちに、気がつくと食事が終わっていた。食事代は結局彼に出してもらい、アパートまで送ってもらった。ごちそうさま。次の日はまた違う店に誘われ、その次の日は例の自然食のお仕事をされている彼の先輩のお家に一緒にお邪魔することになった。</description>
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<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 09:50:00 +0900</pubDate>
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<title>寺に居る理由　７</title>
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「二月は逃げる」なんて誰か言ってたけど、本当・・・。明日から３月。私もいよいよ余所寺に入る。数えだけれどね。はじめて今の夫と食事に行った店は、地元の和食屋さん。大宴会場と襖で仕切られた個室のみの店。彼の家の行きつけらしく、店にはいると三角巾に割烹着姿の女将さんが親しげに挨拶してこられた。私を見て「お嫁さんですか？」と、笑顔を向けられる。「いえ、違います。」と、ばっさり答えると「お嫁さんになってあげてくださいよー。」と、ますますにっこりとして言ってこられる。彼の方を見ると、うつむいてこちらは見ずに、にこにこしている。あーあ、鼻の下のばしちゃって・・・自分の彼氏だったら蹴りいれてるとこね、と思いながら中程の座敷に案内された。座敷といっても３畳ほどの小さな部屋である。「今日給料日だから、なんでも好きなもの食べて。」と、メニューを勧められる。典型的な和食が並ぶメニュー。天ぷら、刺身、寿司、とんかつ、唐揚げ、等々の定食がほとんどだ。このころ、まだマクロビオテックに片足突っ込んだような食生活をしていたので、刺身と揚げ物は気が進まず・・・選んだのは「じゃあ、鰻の蒸籠蒸し定食をお願いします。」この店の定食で一番高いものだったのだ（コースはまだ高かった）。「・・・どうぞ。」私の注文を受けて、彼は寿司定食を頼んだ。今でも、この話になると夫は「あのとき一番高いのを頼んだからびっくりした。フツー遠慮するもんだけどね〜。」と、冗談で言ったりするが、食事に招かれたら相手より高いものを注文するのが礼儀だと大学時代教わったので、マナー違反だとは全然思っていない。だいたい、私も給料日だったから自分では元から払うつもりだったのである。今となっては、笑い話であるが。さて、料理が来るまで改めて自己紹介、じゃないけれどそんな感じで話をしながら、話題が先日の缶コーヒーを飲まなかったことに移った。コーヒーが苦手なのか、と聞かれたので「いえ、私砂糖の入った飲み物は得意じゃなくて。あと、ご存じないかもしれませんがマクロビオテック・・・玄米菜食に近い暮らしをしているんです。」と、答えると「やっぱりそうだったか。」と、得心がいった、という顔で頷かれた。えーっ？「わたしも、塾講師をやっていたときの先輩に勧められて時々玄米食べてるんですよ。」「そうなんですか。」「その人、ほらこの間中国語で一緒だったヒロエちゃんのお父さんで、酢とか自然食品の販売をしてるんだけど・・・あ、大分の赤峰さんて知ってる？」「なんか、ニンジンの本を書いている生産者の・・」「そうそう、この間講演に来てね。うちの実家も農業やっているんだけど、無農薬とまではいかなくても減らす方向で考えてるんだ。」「じゃあ、この間のミカンはお家で作ってるんですね。私の母の実家もミカン農家なんですよ。」思いがけず、話が弾む。まさかこんな田舎に（失礼！）マクロビオテックのことを知っている男性がいるなんて！少々話が脱線するが、最近の健康志向で認知度が高まってきたとはいえ、まだまだあまり知られていないマクロビオテックのことについて少し説明させていただきたいと思う。「マクロビオテック」は食事のスタイルからいえば「玄米菜食」になるのだが、ただその食生活をしているということだけでなく、それを通じて自分の生き方・思想も問われていくものとなる。なーんて書くとお堅くて大袈裟だが、野菜は無農薬、肉魚卵は食べない、牛乳は健康に悪い、市販のスナック菓子もジュースもお断り、ケーキ・和菓子も食べない（マクロビでは砂糖はダメ）、インスタントラーメン・レトルト食品なんてもってのほか、コンビニのお弁当なぞも絶対食べない、外食もナチュラルレストラン系しか行かない（うどん・そばの出汁も普通の店は鰹からとりますし）、白いごはんも食べない・・・・こんなヒト、端で見てる分には面白いかも知れないけれど、実際付き合うと「あれもだめ、これもだめ」で疲れることこの上ないと思う。しかも、マクロビオテックは日本で戦後長い間「正しいもの」とされてきた西洋医学の栄養学とは全く反する東洋医学に基づいた独自の陰陽理論による営養学（減塩はするな、牛乳・砂糖は体に悪い等）を持っていたりするので、その考えを貫いて暮らしていこうとすると、必定自分の属する社会との間に軋轢が生じてくる。（まあ、これは私の経験上のことですが）となれば、一体なんのためにやっているのか？自分の健康のため？自分が有機栽培物の消費者となることで少しでも環境問題に貢献するため？肉食をしないことで食物分配の不均等による飢餓問題やに対してアピール？単純に玄米が好きだから？そういう問いかけが自分のうちに生じてくる。最近、健康ブームと環境問題への意識が高まる中で、マクロビオテックも「ロハス」なんてカテゴリーの中でオシャレに扱われているが、私がマクロビをはじめた頃は、なんというか・・・まあ変わり者のすること、程度にしか思われてなかった。一部の女性誌などでマドンナがマクロビオテックを実践していることが取り上げられたりしていたし、自然食品の仕事をするようになってから顧客に芸能人や芸術家が多いことに驚きもしたけれど、都会で玄米菜食生活をしようと思うと結構お金がかかったりするからそういう階層の人か、信念のある人でないと厳密に続けるのはキビしい感じがしたのも確かだ。鹿児島に帰ってきてからは、実家の食生活に合わせつつもさりげなく肉・砂糖は積極的に取らないようにして暮らしていた。マクロビオテックが大嫌いな父と争いたくなかったから。しかし、ここに来てマクロビオテックに理解ある男性に出会えるとは・・・意外。かといって、このときもまだ私は彼のことを恋愛対象としては全く見ていなかったのである。話が盛り上がっているところに料理が運ばれてきた。お盆の上にそれぞれのメインの料理と、サラダ・吸い物・茶碗蒸しなどが乗っている。美味しそ〜。と、ふと、ある疑問が生じる。私はそれをストレートに彼にぶつけてみた。</description>
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<pubDate>Fri, 29 Feb 2008 23:57:00 +0900</pubDate>
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<title>寺に居る理由　６</title>
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前回のエントリーから１週間以上経ってしまった。２月に入って行事続き、しかも１１日に大学の先生をお迎えしての学習会会所になっているので、掃除に勤しんでは一休み・・・といった感じである。今日も午後から学習会兼会議で出かけるので、洗濯機が回っている隙を見てこの記事を書いているところである。なんなんだ、この忙しさは。暇なときは自分の周りだけ時が流れていないかのように暇なのにねー。水曜日がやってきた。仕事を終えてアパートに戻り、夕飯を済ませてから約束の「社会福祉協議会」まで自転車に乗っていった。社会福祉協議会。しゃかいふくしきょうぎかい。東京で働いていたときは聞いたこともない、というか、そのころの私のアンテナにはひっかからない存在だった。しかし、鹿児島に帰ってきてみると母は病院で老人介護の仕事をしているし、勤め始めた学校には介護福祉科があるし、新聞には介護ヘルパー講座のお知らせがしょっちゅう載っている、という現状。１９９９年、時代は福祉・介護ブームのようなところがあった。そして今、その福祉を職場名に冠しているようなとこに足を踏み入れている自分。なんだか、一年前の自分のことを思うとすごく遠くに来たような気がするなあ、としみじみ感じたりしていた。ちょっと年季の入ったコンクリートの建物にはいると、受付に彼がいた。「こんばんは。どうぞ、あがってください。」受付横を通って、小さな会議室みたいな部屋に通される。椅子に腰掛けて待っている間、どこかから笑い声や歌声が聞こえてきた。彼が部屋に入ってきた。沢山の本と飲み物缶を持っている。「なんだかにぎやかですね。」「今日は手話サークルの活動日で、誰か職員が残って鍵の管理をしないといけないんですよ。ま、私はまだ下っ端でこうして一人でいるのも嫌いじゃないんで・・・これ、どうぞ。」缶コーヒーとお菓子が差し出される。「ありがとうございます。でも、私砂糖の入ったものはいただかないので、結構です。」私はもともと甘い飲み物は好まない。また、東京にいた時分玄米菜食生活をしていて、その頃はまだ三白（白砂糖・白米・化学調味料、添加物など）に対する不快感が強かったため、甘いものは極力いただかないようにしていたのである。大して気にする風もなく、彼は本の説明を始めた。明治以前、僧侶は国家公務員的な存在で免税されていたこと、ただし僧侶として守るべき戒律が沢山あったこと、ある意味最高学府でもあったこと、天皇や貴族は社会の一線を退いたら出家するのが常識だった・・・等々。自分も国文学科出身で色々知っているような気でいたけれど、実際その道一筋に来た人は違うな、と思いながらメモを取っていく。何か授業のヒントを、と思ってきたけれど、もうこのお話自体がネタとして十分使える。感謝感謝♪話が一段落ついて、彼が私の持ってきた国語要覧類に目をつけた。「それ、資料ですか。」「良かったら、みられます？」映画が好きだといっていたから、文学にも嗜好があるのだろう。要覧をめくりながら、目が楽しそうに輝いている。「あ〜、○○だ。まだ読んでないな。○○か〜、懐かしいな、もっとこういうのも勉強しないといけないんだけどな・・・。○○は面白かったな〜。」ひとりごちる彼を見ながら、「そう、文学系って言いかえれば&amp;lsquo;オタク&amp;rsquo;ぽいってことよね」と頷く私。しばらく彼と雑談をして、オタクっぽいとこもあるけど、すごく親切でいい人だな、福祉の仕事をしてるだけあるな（ある意味偏見）、と感じた。９時も回ったので、本を借り、お礼を言って家に帰った。テストも終わって気が楽になっていたので、ずいぶんのんびりしてしまった。次の日の夕方、彼から電話がかかってきた。夕食のお誘いである。特に断る理由もなかったのでご一緒させていただいたのだが、それはなんと、一週間続いたのである。</description>
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<pubDate>Thu, 07 Feb 2008 17:44:00 +0900</pubDate>
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<title>寺に居る理由　５</title>
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高校教員として働き始めて２ヶ月。こんなに楽しく働けるなんて、自分でも意外だった。私の実家は（祖父は違ったが）結構古くから教員を多く出している家系で、祖父の弟たちは全員校長経験者。実家の前は今は住宅地だが、昔は師範学校で曾祖父はそこのお偉いさんだったらしい。幼い父は、季節ごとに大叔父の家に学校の先生たちが列をなして人事裁量のお願いに来る姿をみて「先生といってもただの人間なんだな」と思い、「先生」という人たちを内心馬鹿にしていたそうだ。ヤな子どもである(-_-)そんな父の元で育った影響か、私も学校の先生という存在を斜に構えてみていたところがあった。それが楽しく教員の仕事に勤しめるということはやはり「瓜の蔓には茄子は成らぬ」ということか。まあ、２０代の頃は自分に対する期待や願望が強すぎて、自分の性能や適性がよく分かっていなかったのだろう。先生たちは老いも若きも関係なく、互いの仕事に敬意を払っている。それは、基本的に授業というものが一人で行われるものだからであろう。ずっと先人から受け継がれてきた知恵や知識を伝えていく責任の重さに、年齢は関係ない。その授業の在り方も、学校現場の様々な状況変化に伴って変わっていくことが懸念されているが・・・。話を戻そう。さて、国語科教師として赴任した私であったが、なんとか現代文の単元を終え、古文の授業に入ることとなった。使っていた教科書の一番最初の題材は「ちごのそら寝」である。比叡山の寺院におけるちょっとした小咄で、高校国語で学習した記憶がある方もおられるだろう。自分自身も高校の時に授業で習った覚えがあるのだが、どういう風にこれを指導していけばいいのか。教科主任のＩ先生に相談したところ、丁寧なアドバイスをくださり、最後に「古典文学は仏教との関わりがとても深く、仏教の知識なくして当時の空気は読みとれないといっても過言ではないと思う。今のうちから仏教について勉強しておいた方がいい。」と、おっしゃったのである。早速、授業の空き時間に図書室に行って仏教関連の本を探すのだが、その手の本が少ない。しかたないね〜、専門高校だもんね〜（実は、別の教科の先生が大量に借りっぱなしになっていたのを後に発見）。急ぐことでもないし、ま、いいか〜。と、思っていた夕方、携帯が鳴った。先日の中国語講座で出会った男性からである。実は、数日前、ニシムタでストーブを買った私・・・そのとき車を持っていない為、えっちらおっちら抱えて歩いて帰ったのだが、途中で思い立って携帯番号を教えてくれていた彼に電話をかけてみたのである。彼の好意を利用してあわよくばアッシー（古い？）に使おうという、不埒な女の企みを、留守番電話はあっさりと遮断。しかし、何もいわずに切るのも失礼だから、メッセージは入れておいたのである。「もしもし、先日は留守電にしてて本当にすみません！仕事休みの土日は電源を切っているもので、本当にごめんなさい！」出るなりこれだ。こっちの声も聞かず勢い込んでしゃべってくる。やっぱりあのとき留守電で良かったかも・・・。自分の不埒な下心がなんだか疚しく感じられてくるような、まっすぐな声だ。純粋な人なんだな。「いえ、別にちょっとかけてみただけなんで気にされないでください。」どう言い訳するかな〜、と思ったとき、名案が浮かんだ。一石二鳥！「あの、あなた確かお坊さんですよね。」「はい、そうです。」「実は、私、今度の授業でお寺が舞台の古典を教えることになって、でも仏教のことを全然知らないので、なにかオススメの本がありましたら貸していただきたいんですけど。」「あっ！そうですか！いや、それなら是非、はい！」よかった、これで言い訳が立った。・・・どこまでも不埒な私なのである。彼の職場の社会福祉協議会というところは、私のアパートから徒歩３分位のところにあるということで、翌々日の水曜日、本を貸してもらうことになった。今にして思えば、私に仏教を学ぶよう勧めてくれたＩ先生は、夫の高校の教科担任でもあったのである。一人目の月下氷人が教え子のヒロエちゃんだとすれば、二人目はこのＩ先生ということになろうか。ご縁とは、つくづく不思議なものである。</description>
<link>http://mugiten.potika.net/blog/6.html</link>
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<pubDate>Wed, 30 Jan 2008 15:11:00 +0900</pubDate>
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<title>寺に居る理由　４</title>
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本日、うちの寺で文化財防火訓練が行われた。教育委員会から会場に・・・との依頼があったとき、点検の延長みたいなモンだと気楽に構えていたら、ご門徒は７０名以上、消防・役所関係が１５名ほど参加くださってびっくり。ずーっと頭を下げて挨拶に回った防火訓練でした(^^;)さて、いよいよ中国語講座当日。開催は夜７時半からと聞いていたが、会場の小学校がどこか分からない。当時私はペーパードライバーで、車を持っていなかったので、近くのバスターミナルでタクシーを拾い、小学校まで乗せてもらった。どんどん上がっていくメーター・・・。帰りはきっとバスもなかろうし、歩いて帰るかな、と半分覚悟を決めていた。駐車場に、同じく中国語講座に来たとおっしゃるおばさまたちがおられ、後をついて夜の小学校に足を踏み入れた。今時の小学校はきれいに改装されて校舎内も明るいし広々している。子供がゼイタクになるわけだ、とぼんやり思う。広々したホールに、恐竜の大型模型とホワイトボードが置かれている。講座は図書室で開催、ということで図書室に向かうが、そこは真っ暗。「まだ鍵を取りに行ってないのね〜。」と言い合っていたところに、この会の主催者の市議会議員さん（女性）と講師の国際交流員さんが現れた。「いま、鍵を取りに行ってくれてるから。」と議員さん。教え子ちゃんも来たので、そこにいるメンバーに一通り挨拶したところに、スーツ姿の体格の良い男性がやってきた。鍵を回して図書室の扉を開き、電気をつける。テーブルをちゃっちゃとまとめて皆が座る席を作る。みな思い思いの席に腰掛け、私もあいている席に座った。私が初めての参加ということで自己紹介をさせていただいた。この町に来て、学校以外の人たちの集まりに来たのは初めてのことだった。授業開始からちょっと経って、「なにか、黒板みたいなものありませんかね。」と、先生がおっしゃっる。「あ、探してきましょうか。」先ほどの男性が立ち上がる。「ホールにあったから、持ってきましょうか。」と、私も立ち上がり、図書室を出てホールのホワイトボードに向かって歩き出した。男性が後に続く。ホワイトボードは足つきで動かし易いタイプ。「じゃ、押してください。せーの！」男性が先に立ち、私が後ろからホワイトボードを押して、図書室へ運んでいく。これが夫との出会いで、思いがけず初めて二人で行った共同作業となった。夫は後にこのときの出会いを「あのとき、すぐ反応して動いたのにいいなあ、と思った。一緒に運んだのがホワイトボードだったから、この人とはなにか知的なことを一緒に広めていくご縁があるのかな、と勝手に考えてたんだ。」ほんと、勝手である。妄想である。思いこみが激しいヤツなのである。それが、現実にいまお寺を一緒に運営させていただいていることを思うと・・・いやはや、人の念というか思いはすごい力を持っていると感じざるを得ない。その日、久々に中国語の世界を楽しんだ後、足がない私を、先ほどの男性が送ってくれることになった。教え子ちゃん、議員さん、講師の先生、私、と順々に送ってもらい、二人きりになった車中で本や映画の話で盛り上がった。「今度いっしょに映画に行きませんか？」と誘われたが、中間テストが近く、初めての問題作りでそんな気分になれなかったので丁重にお断りし、男性は帰っていった。しかし、運命の女神は彼の味方・・・というか、仏様のご加護が強く働いていたのだろう。一週間後、私は自分から彼に歩み寄っていくことになった。しかも、半分仕事で。</description>
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<pubDate>Fri, 25 Jan 2008 15:12:00 +0900</pubDate>
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<title>寺にいる理由　３</title>
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お恥ずかしい話だが、私は男を見る目がない。甘い言葉とムードでふらふら〜、とその気になって、相手に嫌われまいと尽くして、でもその状態に耐えられるほど人間が出来てなくて関係が破綻・・・というパターンの繰り返し。こんなのもう嫌だ。自分が嫌だ。ウツウツと毎日を送っていたある日、夢を見た。何故か、実家近くの駅のホームに電車から降りている。そのまま階段を下りて地下道を通り、階段を上って改札を抜ける。横断歩道を渡った先に、小山があってクローバーの花が一面に咲いている。ここは中学生の時になくなったはずだけどなあ・・・と思いながら、足は実家に向かう。駅前の昭和モダンなホテル、本を立ち読みした文房具屋、日焼けした濃い顔のおじちゃんがやってる食品店、子供たちで遊んでると奥さんがお菓子をくれたどこかの社長さんのお家、長屋から猫が出てくる。大きな鯉を飼っていた赤い屋根のお家、時々据えたニオイのするお総菜を売っていた明るい食料品店。子供の頃よく木登りした銀木犀が、天に向かって枝を広げている。もうすぐ家だ、あの突き当たり。玄関に手をかけたところで、目が覚めた。ずっと実家が大嫌いで、鹿児島になんか帰るもんか、鹿児島の男なんてサイテーな奴等ばっかりだから絶対鹿児島の男となんか結婚しない。いや、そもそも結婚なんて男に寄生するような生き方をしたくない、と思っていた。でも、今の自分はなんだ？寄生よりもっとひどいじゃないか。心を殺して生きてるじゃないか。・・・このまま、ここで死にたくない。私、もっとのびのび生きたい！ここにいたらダメになる！！自分の心の底に、こんなにも深い郷愁の念があることに驚きながら、鹿児島に帰る決断をした。鹿児島に帰ってからのことは、前回のエントリーに書いたとおりである。自分の男を見る目のなさを痛いほどわかっていたので、自然、恋愛に対してガードが堅くなっていた。（それでも、教員時代がこれまでの人生で一番のモテ期だった気がする。・・そういうものなのか？）暮らしの中に男っ気がないのは久しぶり・・・というか、男兄弟の中で育ったので、ある意味人生初めてであった。いやいや、快適♪　何が良いかって自分のペースで動けるし、遊びに来た男に部屋を散らかされたり忘れ物と称して荷物を置かれる不法占拠もないし。食事中に「あれ持ってこい、これしてこい」と人を当然の如くこき使うアニキもいない。ぼちぼち仕事にも慣れ始め、自分のために自分の時間とお金を使える贅沢を満喫していた。そんな私の暮らしを掻き乱すと同時に、より広くより面白い？世界へ引っ張ってくれた夫、いよいよ登場！</description>
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<pubDate>Fri, 25 Jan 2008 14:25:00 +0900</pubDate>
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